渦になる

 個人的にとても大事な話。

 わたしの生活における最大の悩みとして「女の子と上手く話せない」というものが挙げられるのですが、それを克服する上で、そして周囲の人々とのあいだに誤解が生じるのを避ける上で、いちど自分が女の子と話しているときに頭のなかで起こっていることを文章化する必要性を感じたので、ブログに書いてみることにしました。

 わたしが女の子と上手く話せない原因は複数の感情・思考の衝突にあり、それらは大まかに3つにわけることができると思うので、まずはそれらをひとつずつ説明したいと思います。

 

1. 極端に惚れっぽく、周囲の女の子のほとんどに対して程度の差はあれ恋愛感情(に近いもの?)を抱いている

 

 恋愛感情、という言葉がどうもあまりしっくりこない気はするものの、ありていに言えばこういうことになってしまうと思います。

 アマチュアとは言え曲がりなりにもミュージシャンとして作品を発表し人前で演奏をしていると、いろいろな女の子と知り合うのですが、みんなかわいくて、音楽だったり絵だったり写真だったり文章だったりさまざまな方面に才能があって、話し方やものの考え方や仕草がおもしろくて、それぞれ悩みや葛藤を抱えていて(あまりよろしくない言葉を使えばメンヘラっけが並みの人より強い?笑)……。あたかも自分が高校時代に夢中になっていたジュブナイル・フィクション(たとえば聡明な美男美女しかいない恩田陸の学園小説の世界)だとか、授業中にぼんやりと頭のなかで繰り広げていた妄想だとかから抜け出してきたかのように感じられたりするのです。

 そういう目で見てしまうと、一緒にいて言葉を交わしているうちにどうしてもその尊さに心を奪われる瞬間が生じます。誰かと会って別れると、帰りの電車のなかでずっとその子のことを考えてしまい、嬉しいやら寂しいやらなんだか複雑な気持ちになるあまり泣きそうになったりもします(わずかながら実際に泣いたこともある……)。日頃態度で示すことはほとんどありませんが、恐らく彼女たちが想像する以上にわたしは彼女たちに思い入れや愛着を抱いています。言葉数が少なくなったり自分から話を振らずに黙り込んだりするのは無関心だからではなく、むしろ関心が強すぎてなにからなにまで知りたいと思うあまりどこから手をつけたらいいのかわからなくなるからなのです。

 

2. 女の子に対する不信感がある

 

 一方で、わたしが女の子に対して漠然とした不信感を抱いているのもたしかです。主に高校の終わり〜大学時代にかけてのいくつかの出来事(これらに関しては過去にTwitterで言及していること、説明するとかなり文章が長くなってしまうことから詳細を省きます)の積み重ねの結果なのですが、話しているとどうしても自分が正しく理解されていないと感じたり、「実は相手に嫌われているのではないか」「興味を持たれていないのではないか」と疑ったり、「必要以上に気を遣わせているのではないか」と不安になったりせずにはいられないのです。

 ある意味では1.はこうした不信感の裏返しであるとも言える気もします。元々わたしは特定の人間を一途に想い続けることこそが真の愛の形だという考えの信奉者で、1.に書いたような極端に惚れっぽいたちではなかったのですが、数年前のある出来事(これもまた子細に踏み込むと長くなること、公言することによって生じるデメリットが大きいことから省きます)をきっかけにして、特定の相手を一途に想うことの価値に疑念を抱くようになりました。自分がどんなに相手を愛していようと相手が自分を愛さなければ意味がないし、相手に受け止めてもらえなかった場合に心に大きな傷を負うばかりか体にまで害が及ぶので、そうなると得策とは言えないわけです。だから1.はそういう事態を避けるための防衛機制のようなものとして、最近身につけた性質であるように思います。

 

3. 自分の身体や男性性への嫌悪感

 

 また、特に大学以降顕著になった問題として、わたしは自分の身体に対してかなり強い嫌悪感があります。

 元々自分の容姿や体型にコンプレックスがある(個人的な理想が高身長で細身なタイプか小柄で童顔なタイプのどちらかなので、どちらでもない時点で負けだという認識がある。また、家系的に若白髪が極めて多くほうれい線もわりと深いため老けて見えること、鼻が大きいことが嫌だ)のに加えて、汗や唾液等の体液の存在を不快に感じる傾向があり、汗をかいたときの体のべたつきや唾を飲む音などにいちいち苛立ってしまいます。しかも学部時代の就職活動を機に軽度のパニック障害を患って通院していた時期があり、その名残りでいまでも緊張状態に置かれたときに喉や心臓等に違和感を覚えるので、とにかく自分の体が嫌いですし、他人にもひどく醜く見えているのではないかと常に不安を感じています。

 さらに言うと、わたしは大学・大学院修士課程の計6年間を通じてほぼ常になにかしらの形でジェンダーを扱ってきたのですが、ジェンダーに関する授業にはいかに性搾取や女性差別が社会構造に組み込まれてしまっているか、という男性にはかなり耳の痛い話も多々出てくるわけで……。そのことと、かつてわたしが高校野球という男性社会に身を置いて男性性(と世間で称されるもの。男性性/女性性という区分自体が不適切と見る向きもあると思われるので一応)の醜悪さを肌で感じていたことや、セクハラまがいの発言を平気でしたり、女性に対してメールやSNSで粘着したりするような男性への嫌悪感が相まって、男性性に対する憎悪を内面化した部分もあると思います。「俺」という一人称を使わない・女性を「お前」と呼ばないといったささいな行為から、AVや風俗等の性産業に加担しない・秋元康に金を落とさない(これは残念ながら欅坂46のシングルを購入したことによって最近破られてしまった。。。激苦笑)等のある程度社会的な意義を帯びた行為まで、とにかく世間一般の男性の振る舞いから自分を引き離して可能な限り女性を公正に扱おうという意識が自分のなかで強いのですが、その意識が強すぎるあまり女性と接することへの不安が膨れ上がっているという側面もあるかもしれません。

 

 以上の3つの感情がぶつかりあっている状態で女の子と会話するとどうなるか。

 ひと言で言うと、わからなくなります。

 自分には相手と話す資格があるのか、ほんとうに相手は自分を対等な人間として認め多少なりとも好意的に見てくれているのか、自分と話していて相手は楽しいと思っているのか、どんな話をすればいいのか、相手の言葉に対して自分は適切に受け答えできているのか、自分の不用意な言動や行動で相手を傷つけたり不快な思いをさせたりしていないか、相手に気持ち悪いと思われていないか、相手に内面を見透かされていないか……などなど、なにもかもわからなくなり、だんだん円滑に話せなくなります。

 その結果として相手と話すことに対して強烈な居心地の悪さを感じはじめ、「相手のことが好きだしずっと話していたいけど、話せば話すほど不安になるから一刻も早くその場を離れたい」という矛盾した感情の渦に飲まれて、会話を切り上げて立ち去ろうとしたり、以前のパニック障害の発作に近い症状が現れたりします。

 会う回数を重ねるごとにだんだん慣れていってふつうに話せるようになったり、逆に接し方を完全に見失って見かけても声をかけることすらままならなくなったり、あるいはごく稀にそもそも先述したような状態になることなくすんなり話せる人もいたり、と相手によって程度に差はありますが、女の子と話しているときの心境はだいたいこんな感じです。

 

 話におちをつけるのがかなり下手な性分なので今回も話を帰着させづらくなった感がありますが、無理やりまとめると、

・ここまでお読みいただいたらわかる通り、いまわたしが感じている女の子との話しづらさはこの数年の精神状態や価値観の変化に依る部分が大きいです。いまとなっては信じがたい話なのですが、これまでの人生を振り返ると女の子と話すことに苦手意識がほとんどなかった時期のほうが長いので、この状態が克服できないものだとは思っていません。

・なので似たような境遇の方にご助言をいただけたり、あるいは逆になにかのご参考になったりするととても嬉しいです。お互いがんばって乗り越えましょう……。

・たぶん話していて挙動が不信だったり言動が破綻したりする瞬間が多々あると思うのですが、それでも見捨てずにライブハウス等で話しかけてくださったり、バンドの活動を支えたりしてくださる方々にはほんとうに感謝しております。わたしが話を切り上げたそうにしているように見えてもそれは本心ではございませんし、これからはなるべく逃げないようにしたいと思っておりますので、これからもお話できたら幸いです。今後ともよろしくお願い申し上げます。