愛するってなんなのってずっと僕ら問われていて

 明けましておめでとうございます。今年もFor Tracy Hyde並びに夏botをよろしくお願い申し上げます。

 2016年をざっくり振り返ると、バンド結成以降もっとも充実した一年だったと言っても過言ではないでしょう。初となるほかのイベンターさんとの共同企画にして初の2会場サーキット・イベントでもあった11月の『青の理由』(共催の春希さんやご出演いただいたアーティストの皆様、関係者の皆様、そしてご来場くださった皆様に改めてお礼を申し上げます)や、Lady Flashと一緒に回った初の4都市ツアー(貴重な機会をくださったLady Flashに感謝)、そして高校時代からの悲願だった高円寺Highへの初出演(しかも元Starboardの今村さん率いるThe Floristのリリース・パーティ!)など、はじめて尽くしの一年でした。

 そのはじめて尽くしの一年を全国デビュー盤となる1stアルバム『Film Bleu』のリリースで締めくくれたのはなんとも幸運でした。自分で言うのもなんですが、デビュー盤としてはこの上ないものを出せたと自負しておりますし、予想以上の反響の大きさにとても勇気づけられました。品切れする店舗が出たり、リスナーの方々とライブ会場などでお会いしたときに情熱的なお言葉をいただけたり、年間ベストに挙げてくださる方がいらしたり、『Musica』に掲載されたり……。関わったすべての方々を列挙するといささか長くなってしまうので割愛させていただきますが、制作サイド/視聴サイドを問わずひとりひとりに心より感謝しております。

 

 1stアルバムをリリースしたとなると、当然「2ndはどうするの?」という話になります。というわけで2017年の(というか今年一年に限定されない中〜長期的な?)抱負を次回作の展望に絡めて書いてみたいと思います。

 日を改めて書く予定のセルフ・ライナーでもご説明することになるかと思うのですが、『Film Bleu』はわたしが名盤の必須条件だと考えるコンセプト性/トータル性を持たせるのが非常に困難な作品でした。各収録曲の制作時期がばらばらで、当然志向するサウンドも歌詞のトーンもばらばら。それらの楽曲をまとめる制作終盤の段階になって、わたしは「自分が目標としている表現を追求するには、なんの方向性も定めずにただ心の赴くままにいい歌をつくるだけではダメだ」とようやく悟るにいたりました。この辺りの創作に対する姿勢は大いに改善の余地があるでしょう。

 とはいえ、一方でそうした楽曲のばらつきはどうしても避けがたいものでもあります。会社勤めをしていると思うように作業時間を確保できない時期もありますし、時間があるときに精神やソングライティングのコンディションが万全であるとも限りません。また、元来わたしはリスナー気質の強いソングライターなので、夢中になる音楽やインスピレーションを得る音楽はそのときどきで大きく変わります。それらの事実を踏まえると、必然的に「サウンドよりも歌詞のテーマやトーンによって楽曲の統一を図ったほうが合理的だ」という結論に達することになります(この発想はわたしが昨年の新譜のなかでもっとも感銘を受けたもののひとつであるThe 1975『I Like It When You Sleep, For You Are So Beautiful Yet So Unaware Of It』にも通じます)。

 また、昨春解散したTenkiame(。。。激苦笑)での活動や『Film Bleu』の制作を通じて、わたしは「もっと自分の経験や心情に即した作品をつくりたい」という気持ちを新たにしました。FTHはリスナー、特に10〜20代の生活に寄り添う音楽をモットーにしていて、彼らが憧れるであろう青春像を音像や歌詞で表現することに腐心していたのですが、そうした青春はわたし自身とは無縁のものですし、FTHの音楽性の軸となっているギター・ポップ/渋谷系的なサウンドはわたし自身にとってはとうに求心力を失っています。つまり、生活に寄り添う音楽を目指してつくっている作品がつくり手本人の生活に寄り添っていないという矛盾が生じたのです。わたしが日頃愛聴し共感を抱いているDIIV、The 1975、Galileo GalileiArt-SchoolThe Novembersなどがポップな音楽性を保ちつつも作詞面では個人の葛藤や内省、愛の希求を描いていることを思うと、ある意味ではTenkiameのほうが自分の目指すものに近かったとすら言えるわけです(まああのバンドはおふざけ的な側面が強すぎるし、肝心の楽曲の出来もアレではありますが……)。

 Tenkiameの楽曲はすべて、自分がなんらかの形で関わりを持った実在の人物および自分とその人のあいだに起きた出来事がモチーフになっていたのですが、そうした楽曲を制作した経験は『Film Bleu』の制作後期に並行してつくられた楽曲たちにも反映されています。また、既に2ndアルバムに向けた取り組みがはじまっていて、昨夏よりライブで披露している楽曲群を皮切りに新曲を鋭意制作中なのですが、間違いなく言えるのは2ndが全体として『Film Bleu』よりも内省的でダークな——言い換えればつくり手であるわたし自身がリアルだと感じるような——作品になるだろうということです(まああくまでも傾向の話なので、実際は前作と通じるような楽曲も入るでしょうし、バランスとしてはそこまで過剰にどろどろした仕上がりにはならないとは思いますが笑)。

 具体的にどういったテーマを扱うことになるのか、この1〜2週間くらいずっと考えてみたところ、自分の日々の思考の大部分が

1. 音楽への愛情

2. 人間への愛情(特に音楽に携わる人々に対するそれ)

3. 自分自身の不能、人格面での欠落、身体などに対する嫌悪感

4. 死や忘却に対する恐怖心

の4つに支配されていることに気づきました。思えばこの何年かずっと愛について考えているのですが、とりわけ昨年はいろいろな人といろいろなことがあり(非常に頭の悪そうな書き方になってしまうけれど、実際問題としていまはまだそうとしか言いようがない)、「愛のあるべき姿とはなんなのか」「果たしてわたしには誰かを正しく愛することができるのか」などといった疑問を絶えず頭のなかでこねくり回していました。なのでテーマ性で言えば2ndアルバムは恐らく1・2を軸に置きつつ、もし可能であれば3・4なども絡めたものになるような気がしています。

 

 数年前にある知人に「夏botさんからは人間らしい欲や生命力が感じられなくて、神とか仏とかなのか?!と思う」(原文ママ)と言われたことがあるのですが、実際にはぜんぜんそんなことはなく、欲望だらけなのはご周知の通りです。でも一方で神仏の域を目指すとまではいかないにせよ、なにかしら普遍的な真理を掴みたい、そしてそれを描きたい、という気持ちはたしかにあるように思います(そのために世俗を捨てようとかはぜんぜん思いませんが……笑)。自分の目指しているそれがなんなのか、最近少しずつわかってきた気がしています。自分の弱さや欠点を乗り越えて音楽を愛し、人を愛すること(さらに言えば音楽によって愛を獲得すること)で見えるものがあると信じたいですし、いまはただそれを目指したいです。

 

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