沈むための海をつくる

 去年くらいからライブに関して「管さんはステージングがエモい」「楽曲に入り込む力がすごい」と言われることが増えてきた。

 

 演者としてそういうふうでありたいと常に意識しているので、願ったり叶ったりといったところでとても嬉しいのだけれど、同時になんだか不思議な気もする。そうなったのがつい最近のことで、むしろ自分がやっていることにいまひとつのめり込めない、自分のつくった歌を歌うことや人前で演奏することに対して照れや迷いを感じてしまう、といった時期のほうがずっと長かったからだ。知らないあいだにその気持ちをある程度克服してしまっているらしい。

 これはいったいどういうことなのだろう、と考えてみると、どうも2つの側面がある気がする。

 

1. 『he(r)art』のリリース時のインタビューやツイート、ライブのMC等でも触れてきたし、追々セルフ・ライナーでも掘り下げることになると思うけれど、自分を取り巻く状況や心境の変化に伴い、より現実に根ざしていて自分の感情を率直に表現したような音楽を追求したい、という気持ちが強まり、作詞の傾向ががらっと変わった。また、リスナーとして聴く音楽の嗜好も変化し、自分の境遇と重ならないもの、自分が共感できないもの、内省を促されないものを受けつけなくなった。つまりいまの僕は自分が入り込める音楽しか聴いていないし、自分が入り込める音楽しか演奏していない。

 

2. 僕は基本的に劣等感や自己嫌悪が強く、自分がみっともなくて情けなくてかっこ悪い人間だと常々感じている。だからこそせめてステージの上でだけはその現実から逃避してかっこよくありたい、憧れられたい(I Wanna Be Adored!)と願っている。そのために共演者の立ち振る舞いを観察したり、自分が憧れるバンド(たとえばThe 1975であったりDIIVであったり)のライブ動画を観たりして取り入れられるものを取り入れ、できる範囲内で彼らになりきろうとしている。

 

 要するに僕のステージングの変化は現実とより実直に向き合うようになった結果でもあると同時に、学習的な現実逃避の結果でもある、という矛盾を内包していることになるのではないだろうか。ますますもって不思議な話だ。でも人の心はひと筋縄ではいかないものだから、矛盾があるのも当然なのだろう。

 ともあれ、この一年で僕のライブに対するモチベーションは劇的に高まったように思う。轟音と混乱した感情に没入し、その満ち引きや浮き沈みに身を委ねてカタルシスを得る、そんな瞬間の快楽がいま確かに僕を生かしている。

 

 音楽をつくるときや演奏するときに、海を思い浮かべていることが多い気がする。

 僕は横浜で生まれ、幼少期をシアトルで過ごした。学者である父の研究分野のひとつが環太平洋地域の文化だというのもあってか、家族旅行の行き先は島国であることが多かったし、在外研究でニュージーランドに住んだこともある。だから海はもはや僕の原風景であるといってもいいのかもしれない。僕はとにかく海という存在を愛している。途方もなく広くて、冷たくて、深い青を湛えた海に、いつでも焦がれている。

 その上、海は古今東西の数多の物語の舞台であり、何千ものレイヤーが織りなす複雑な文脈を持っている。海には大勢の人々の記憶や感情が内包されている。物語を愛する身としては、それらの存在が海への想いをより強固なものにしているのはいうまでもない。

 そういった理由で、僕はほぼ無意識のうちに海や水を歌詞のモチーフとして使いがちだし、それに留まらず、音像でも海を表現しようと苦心することが多い。

 シューゲイズはこの世でもっとも海に近いサウンドのひとつだと思う。コーラスの冷たいきらめきや揺らぎ、ディレイの反復、リバーブの広がり、全方位から押し寄せて身体を包み込むノイズ……と構成要素のどれを取っても海を連想させられるものばかりだ。だから僕がシューゲイズを好み、そのエッセンスを自分の音楽に取り込もうとするのもごく自然ななりゆきなのだろう。

 僕は僕が沈むための海を自作自演している。

 

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追記1: そんな僕だけれど、入水自殺に対する願望はまったくなく、それどころか溺死に対する恐怖心が非常に強い。単純に死に方として苦しそうだし、祖母が風呂で居眠りしているうちに溺死してしまったから、というのもある。ある友人とお互いの悩みを語り合っていて冗談で「もしどうにもならなかったら一緒に死のう」という話になったとき、「溺死は苦しいし死体が膨れ上がるから、雪山で凍死するのがいちばんいい」という結論に落ち着いた。でもほんとうはふたりとも死なないで済む未来が訪れるのがいちばんいいに決まってる。

 

追記2: ほんとうはこれくらいの感じでもっと頻繁にブログを更新したいのだけれど、なぜかなかなか実行に移せない。『Film Bleu』と『he(r)art』のセルフ・ライナーという2本の長編大作を控えているせいだろうか……。

 

追記3: 「環境と関係性と感情の海で沈むよ」なんて歌もありましたね……。