最後の青

 ついさっきまでベッドに横たわって夢を見ていた。

 その夢のなかでは12月の暮れなのか、あるいはもう年が明けているのかわからないけれど、とにかく季節は冬で、わたしは名古屋(の隣にある大治というちんまい田舎町)に住む父方の祖母の家に帰省して、祖母の家の古ぼけた懐かしい空気を胸いっぱいに吸い込んだり、ふだんはほとんど観ないテレビを飽きるほど観たりしてだらだらと過ごしている。

 ふと顔を上げると、窓から陽が射している。なぜかはわからないけれど夢のなかのわたしははっとする。恐らく何日か曇りの日が続いていたのだろう(実際、毎年祖母の家に帰省する頃は曇ったり、雨が降ったり、あるいは雪が降ったりしていることが多い気がする)。とにかくわたしは外に出たい、貴重な陽の光を浴びたいと思う。わたしはイギリス留学で冬の太陽の尊さを痛感している。あの国は冬になるとひたすら曇りと雨と雪が続く。朝は晴れていてもあとで雨が降り出したりする。最悪だ。おかげさまで太陽を見ない生活をしていると人は狂うということがよくわかった。

 とにかくわたしはその時期の外気温には少し薄すぎる服装のまま慌てて外に飛び出し、寒さに震えながら(なにせ外は雪がうっすら積もっている、上着なしでは寒いのは当然だ)家の裏手に回る。そしてそこでありえない光景を目にする。

 海だ。

 祖母の住む田舎町は完全に内陸だ。庄内川というまあまあ大きな川が流れ、小さなどぶ川が家の近所にあり、夏には水田が広がり、水とは縁が深いものの、海となると話は別だ。

 潮の匂いがする。冷たい風がかすかに吹いている。鴎も飛んでいるし、なんなら船も三、四隻ほど行き交っている。紛うことなき海だ。

 戸惑いつつ顔を上げると、いままでに見たこともないような青色をした空が、海にその色を投げかけている。唐突な地形の変化と相まって、この世の終わりかと思ってしまうほど深い青。これまでに見てきたなににも似てない、まったくはじめて見るその色の美しさにしばらく呆然としてしまう。「最後の青」という言葉がぼんやりと頭に浮かぶ。Pelican Fanclubの曲名だ。

 近くで中高生くらいの少年たちが「うわっ、青っ!」「ヤバっ!」と騒ぐ声がして我に帰ったわたしは思う——あっ、そうだ、カメラ。

 ジーンズのポケットに手を突っ込むが、そこにはカメラはない。

 わたしは慌ててカメラを取りに家に戻る。靴を脱ぎ捨てて毎年泊まっている2階の寝室に駆け上がり、リュックからデジカメを取り出してポケットに突っ込み、玄関まで駆け下りて靴をつま先に引っかけながら引き戸に手をかけ、

 そこで目が覚める。

 ゆっくり身を起こして周りを見回す。いまはふつうに9月だし、ここはふつうに狛江の我が家の寝室だし、外はふつうに夜だ。

 それでもわたしは状況を理解しきれていない寝ぼけた頭でこう思う——あの青をどうにか歌にできないかな。写真を撮れなかったことをまだ悔しいと感じているのだ。

 ベッドから出て、とりあえず手近にあった水色のムスタングを手に取って、適当に好きなコードをいくつかかき鳴らしながら、ようやく現実に戻りつつあるわたしは気づく。もうあの青がどんな色だったか思い出せないことに。

 

 ……というのがついさっきの話。

 なぜかこの体験が意味深いものに感じられたので書き留めてみたが、なぜそう感じたのか考えてみるとまったくわからない。恐らくこの話をお読みになっても皆様が得るものや感じ取ることはなにもないと思われる。

 曖昧になっていく物語(Pelican Fanclub「最後の青」より)。

 

追記:Pelican Fanclub「最後の青」は廃盤となっているデモ音源にしか収録されておらず、かつてYoutubeにあったかっこいいライブ動画(間奏での照明のストロボを活かしたストップ・モーション風の演出が最高にいけていて、わたしも昔ライブで真似したことがある)も削除されて久しい。しかし、彼らの前身であるFu A YouのMyspaceには「Aqua」というタイトルでかなり完成に近い形のデモが残されている。

myspace.com