がんばってください

 最近ふと思ったのだけれど、「がんばってください」という言い回しはなんだか不思議だ。

 誰かが大切な場面を迎えるとき、我々はその人に対してほとんど無意識に「がんばってください」(あるいはもっと親しい相手であれば「がんばってくれ」。単に「がんばって」というのもこれの省略形かもしれない)という言葉を向けがちだ。もちろんそれを言った相手が自分と行動をともにする仲間で、相手の努力が直接的/間接的に自分になんらかのメリットをもたらす場合も多々ある。まさに「ください」というわけだ。しかし、ときには自分が目に見えてこれといったメリットを享受できない立場にいても、そんな言葉を投げかけることもある。たとえば自分が行けないライブの出演者に対して。あるいは資格試験を受ける知人に対して。相手によっては、そうした励ましを無意味だとか無責任だとか受け取るかもしれない。

 しかし、思うに「がんばってください」という言葉は「たとえ自分が関与しない場面であっても、相手の努力が報われて幸せになることが自分の幸せのためにもなる」という思想の表れなのではないだろうか。だから結局どんな場面であろうとこの「ください」にはちゃんと意味があるのだ。あなたにはあなたの幸せの実現に向けて努力をして欲しい、そしてわたしに幸せな様子を見せて自分にも幸せを感じさせて欲しい、と。だからこれは実は無責任でもなんでもなく、むしろ相手の幸福を願う思いやりに満ちた言葉なのだ。

 英語に似たような言い回しがあるか考えたとき、たとえば「I hope you do your best(あなたが最善を尽くすことを願う)」なんかが思い浮かぶ。しかし、どうもこれは「ください」というニュアンスが弱いように思う。そう考えると「がんばってください」というのは日本的な奥ゆかしさを持った言葉なのかもしれない。

 誰もが当たり前のように「がんばってください」を素直に言い合える、そして「がんばってください」を素直に受け止められる、そんな世界は素敵だ。そんなことをちょっと考えてみる。