Hotel Insomnia Online Concierge Service

0. はじめに

 12月14日にリリースされたFor Tracy Hydeの5thアルバム『Hotel Insomnia』、お楽しみいただけておりますでしょうか。今作は媒体の露出が過去作より少なくなりそうなので、その分今作をよりお楽しみいただく手引きになればと思い、セルフ・ライナー的なものを書いてみることにしました。記事の最後に埋め込まれたレファレンス・プレイリストとともにご一読いただけたら幸いです。

 

 

1. テーマ

 作品の構想自体はコロナ禍のそこそこ早い段階、前作『Ethernity』と同時発生かもしくは『Ethernity』制作中には既にあったものと思います。

 なぜこういう曖昧な書き方になってしまうかというと、そもそも僕は当初パンデミックは1年程度で収束するものと思っており、収束するまで作品をリリースせずに充電/制作に専念して収束後に2枚組アルバムをリリースするつもりでいました。しかしレーベルの意向により作品をリリースする必要に迫られ、2枚組アルバムに発展しえたアイディアの一部を『Ethernity』として急遽成形・放出することになってしまったのです。そのため僕には、『Ethernity』と『Hotel Insomnia』はテーマやムードを共にしつつも強引に切り離されたシャム双生児のように思えます。

 そのテーマやムードの基盤となっているのが、パンデミック発生以降の日常生活の崩壊です。

 中国から世界的に拡散したウィルスによって全人類がマスク着用での生活を余儀なくされ、アメリカではトランプ大統領当選以降人種・階層間の分断が急激に拡大、その影響を受けヨーロッパでもポピュリズムや右派の愛国運動が台頭。今年に入ってからもウクライナとロシアのあいだで戦争が勃発し、日本国内では元総理大臣の暗殺事件まで発生……と終末じみたニュースを見聞きすることが増え、世相に対して強い閉塞感や不安感を抱く日々がいまもなお続いています。2019年の我々からは想像もつかないような急激な変化が日常風景をつくり変え、もはや故郷を故郷と認識することも難しいようにすら思えます。現代の文明や社会に対して少し斜に構えたり批判的な気持ちを抱いたりするような、これまで自分のなかにはなかった類いの感情が芽生えつつあることに気づかされました。我々は祖国にいながらにして異邦人のような現実との乖離や隔絶、一種の離人症のような感覚に苛まされ、支配されているのです。つい最近まで国境を越えた往来はおろか、国内旅行すら憚られたような時代において、これは非常に皮肉なことに思えました。

 そんな時代にあえて「旅」をモチーフにしたある意味ロード・ムービー的な作品をつくろう、という発想がそもそもの2枚組アルバム構想の発端だったのですが、その旅が2つの側面に分離し、物理的な(文字通りの)旅にフォーカスしてアメリカを東西に渡る旅路として描いたのが『Ethernity』、心理的な(内面世界の)旅にフォーカスしたのが『Hotel Insomnia』と言えるのではないか。この2つの作品を出したいま、なんとなくそう感じています。

Hotel Insomnia』というアルバム名は、旅先での不眠を形容する言葉として思いつきました(実際に検索してみると同様の用途で用いられていることがしばしばあります)。旅先で時差ぼけや高揚感、不安感などから眠りにつくことができず、漠然と過去のことを思い返したり、将来を危惧したり、さまざまな音楽をあれでもないこれでもないととっかえひっかえ聴いたり……といった脈絡のない思考に捕らわれるあの感覚が、僕のなかでパンデミックの渦中の心情と重なったのです。このタイトルで行くという決断はなんの迷いもなく早々になされ、その後もさほど揺らぎませんでした(代替案を考えた記憶はあるのですが、それがなんだったのかは思い出せません)。

 ちなみに今作以外の『Hotel Insomnia』の固有名詞としての用途も2つ把握していて、ひとつは韓国に実在するホテル(いつか機会があれば話のネタとして泊まってみたい)。そしてもうひとつがユーゴスラビア生まれのセルビアアメリカ人詩人、Charles Simicの同名の詩集。こちらは一応取り寄せて読みはしたものの特に気に入りはしなかったのですが、一方で全体に通底するダークなムード(恐らく東欧の社会主義圏の空気感を引きずっているのではないかと思われます)は僕が描こうとするテーマと繋がっているようにも思いました。

 

2. 制作・アプローチ

 今作で最初にできたのは「Milkshake」で、『Ethernity』制作末期には原形がつくられはじめ、リリース・パーティとなるはずだった2021年5月の渋谷Club Quattroでの無観客配信公演では既にアンコールとして演奏していました。この曲ができたことが今作の方向性を決定づけた節は少なからずあるように思います。

 元々『Ethernity』でも「Milkshake」のようなNothingやHum、Slow Crush、Kraus辺りの影響を受けたヘヴィ・シューゲイズ的なサウンドを取り入れようとはしていたのですが、当時はなぜか上手くいかず、どういうわけか打って変わって「Milkshake」ですんなりできてしまいました。また、「Milkshake」を本格的につくりはじめた頃は初期のBump Of ChickenやThe Smashing Pumpkinsの『Siamese Dream』のようなギターを執拗に(ときには不必要なまでに)オーバーダブした作品に傾倒していました(特に『Siamese Dream』についてビリー・コーガンが言った「耳にした直後に『いまのはなんだったんだ』と思わせるような音像をつくりたかった」という言葉には影響を受けました)。そのため、この曲が完成したことが『Hotel Insomnia』におけるマキシマリスト的なアプローチに繋がっていると言えます。

 次に完成したのが「Estuary」「Undulate」の2曲で、2021年9月の大阪・梅田SHANGRI-LAでのワンマンで既に演奏しています。これらの楽曲も「Milkshake」のようなヘヴィ・シューゲイズ路線ではないにせよいままでにないくらいギターが何層も重なっています。ちなみに「Undulate」は「6弦2人+12弦のトリプル・ギター編成だからRadioheadみたいな曲をやろう」というMav君の思いつきが発端となった曲で、個人的にはこうしたメンバー発案の曲づくりはほとんど行ったことがなかったので、今作ならではの試みのひとつと言えます。また、ここまでに挙げた3曲だけ2022年頭のU-1の脱退より前にレコーディングが済んでいるため、音源ではU-1のギターが聴けます。

 以降の楽曲はすべて30曲近いショート・デモ(基本的にワン・コーラスで全体のアレンジまで詰められ歌詞もついているもの)をつくってはメンバーに共有し、そのなかから投票で厳選した曲たちとなっています。これは『he(r)art』から『Ethernity』までの3作品でコンセプチュアルな作品づくりに疲れてしまったため、コンセプト性を意図的に排除すべく楽曲の質・空気感・流れだけを基準に収録内容を決定しようという試みだったのですが、結果的にこれが作品全体の強度とバラエティに大きく貢献している気がします。ちなみにアルバム全体で大きなストーリーを描くのではなく楽曲単位でスナップショット的なアプローチを取る、というのは今年リリースされたThe 1975の新譜『Being Funny In A Foreign Language』についてマシューが語っていたことと奇しくも一致しており、リリース発表時は非常に驚かされました。

 唯一のMav楽曲「House Of Mirrors」は大まかに収録曲が出揃った段階で僕が穴を埋めるピースとしてアルバムに欲しいと思っていた楽曲のコンセプトをいくつかMav君に提示し(たしか①チルウェーブ ②フォーク・ロック ③ミニマルでサイケデリックなシューゲイズの3パターンだった気がします)、そのなかからMav君がつくってきた①に僕が歌詞をつけたもの(歌詞は最終的にMav君が多少改訂しています。ラップは全面的に僕のアイディア)。

 曲ごとのサウンドの振れ幅が大きい今作ですが、1.に記したムードと先ほど述べたマキシマリスト的アプローチが共通の要素として筋を通していると思っています。打ち込みへの依存度を大きく減らし、「シンセサイザーを使用するのは基本的に隠し味としてのみ、主役とするのはここぞという場面だけ」という方針の元、その分ギターのレイヤーを増やしているのがこれまでの作品との大きな違いだと思います。

 レコーディングは過去3作と同じくTriple Time Studioの岩田純也さんですが、マスタリングはRideのMark Gardenerが担当し、初の海外マスタリング作品となりました。元々『Ethernity』も海外(特に作品の題材でもあったアメリカ)でのマスタリングを視野に入れていて、実際にエンジニアに打診もしてはみたものの返信がないままデッドラインが迫ってしまい、やむを得ず見送ることとなったのですが、今作は幸いにも海外マスタリングを検討するだけのスケジュールの余裕があったため晴れて実現しました。PRのための施策として他アーティストとのコラボレーションをレーベルから提案され、エモラップ方面のMCのフィーチャリングなどを検討してはみたものの僕の楽曲制作のプロセス(作詞・作曲・編曲をすべて同時進行で行いひとりで完結)の都合上他者を介入させるのが難しく、落としどころとして海外の著名アーティストにマスタリングを依頼した、という側面も少なからずあります。

 僕がシューゲイズに目覚めてギターを弾くようになったきっかけであるRideには並々ならぬ思い入れがあり、今回マスタリングをお引き受けいただけただけでも卒倒するほど光栄だったのですが、その上実際に上がったマスターの出来がそれはもう……。Markとのコミュニケーションは基本的にレーベルが行い、バンドからの要望などは最小限に留まっていて、特にサウンド面に関してはほんとうにノータッチだったのですが、パンチのあるドラムの質感、ローの迫力、全体の奥行きなど、ほんとうに理想的な(そして極めてRide的な)サウンドに仕上がりました。「Mlikshake」の先行配信版(つまりMVの音源)のみ従来通りPeace Musicの中村宗一郎さんがマスタリングを手がけており、アルバム版と聴き比べていただくと国内外の音の違いがわかりやすく楽しめるかもしれません。中村さんのマスターの邦ロック的なシャープさも楽曲とマッチしていてまた異なる魅力があります。

 

3. 楽曲解説

1. Undulate

 先述の通り「せっかくトリプル・ギターだから……」というMav君の思いつきが発端となって生まれたRadiohead節の効いた楽曲。元々僕自身はRadioheadへの思い入れがなく、この曲をつくるためにわざわざ本気でRadioheadサウンドやコード感などを研究していろいろな要素を詰め込みました(半音の上昇/下降を基調としたコード進行が特に効いていると思います)。とはいえ大筋では「Planet Telex」と「Airbag」のマッシュアップです。冒頭のSEはレコーディング時にスタジオでシマー・リバーブディストーションに突っ込んでコードを鳴らしたオルガンのようなギター・サウンドを素材としつつ、自宅でDAWに取り込んでリバーブをかけたり再生速度をいじったりして大幅に加工しており、もはや原形がありません。

 アウトロはレコーディング時に岩田さんに「The Boo Radleysっぽい」とも言われたのですが、たしかに「Lazarus」など『Giant Steps』期のThe Boo Radleysの楽曲っぽいUKネオサイケ感があるかもしれません。また、歌メロは全体的にaikoを思わせるものがあり、「aikoが歌うRadiohead」と言い表したりもしているのですが、特段aikoに詳しいわけではないため具体的にどの曲っぽいのかはわからず……。

 歌詞はポスト・トランプ、そしてポスト・コロナの世界でひと際盛り上がりを見せている陰謀論や、そこへのめり込むラビット・ホールとしてのインターネットをモチーフにしています。アインシュタイン相対性理論のわかりやすい説明として「宇宙滞在中は加齢が緩やかになるため、数年の宇宙滞在を経て地上に帰ってきた宇宙飛行士よりずっと地上にいた人間のほうが歳を取っている」という話を子どもの頃に耳にした方も多いのではないかと思いますが、それを陰謀論に傾倒する人間の自家中毒性のメタファーとして使っているのがポイントです。

2. The FIrst Time (Is The Last Time) 

 The Beach Boysの複雑な4~6声のハーモニーをTeenage Fanclub的な、あるいはスウェーデンのPopsicleの1stアルバムのような轟音ギター・ポップ・サウンドでやりたかったという、ただそれだけの楽曲。追っかけコーラスだったり、フォルス・エンドのあとに歌メロを歌詞のないファルセットでなぞるアウトロが来たり、といった随所のしかけも『Today』辺りのThe Beach Boys的。タイトルを括弧で補足するのも60s遊びの延長。サビのメロディの一部がOasisの「Wonderwall」のBメロになるのはたまたまです。

 歌詞は「初恋は人生でいちどだけ」「すべての恋が最初であり最後である」といった発想の元、10代の初恋に想いを馳せる語り手の一人称視点で書かれています。たわいもない内容ですが韻の踏み方が快いです。また、前曲の「Undulate」が今現在の不安を扱っている一方で「The First Time」は過去の追憶を歌っており、「旅先のホテルでのとりとめのない思考を綴る」という今作のテーマのセットアップがこの2曲である程度なされているかなと思います。

3. Kodiak

 初期のOasisThe Verveのようなサイケデリックで不遜な轟音ギター・ロックをThe Stone Rosesのようなグルーヴィなドラムでやりたかったというそれだけの曲(マッドチェスター/インディ・ダンス的なビート感は今作の裏テーマにもなっており、この曲やラストを飾る「Leave The Planet」に顕著に表れているほか「Undulate」「Sirens」「House Of Mirrors」にもその片鱗が見られる気がします)。アルバムのテーマとの結びつきが弱く特にウェイトを持たせていたわけでもないのですが、バンド内の選曲投票で思いのほか人気があり、自分もなかなか気に入っていたので収録曲として採用。レコーディング以降一気にサイケデリックさを増して化けた感があり、結果的に今作の個人的なフェイバリットのひとつにまで登りつめました。

 歌詞は特に深い考えを持って書いたわけではなく、「旅」からの連想で雪国について書こうとしたら冬眠明けの熊をモチーフにした歌になった、くらいの感じなのですが、いま読み返してみると未来性の強い歌詞に思えます。冬眠明けの熊とパンデミック収束後の人類をオーバーラップさせ、「いつかどうせ朽ちるだけ」という諦観を胸に抱きつつも前へ進もう、日々を楽しもう、という決意表明や祈りのような印象です。

4. Lungs

 どうして生まれたのかよくわからない曲。記憶が確かならそもそもAメロ~Bメロ(? ブリッジと呼んだほうが適切なのかもしれませんが、僕のなかでは「歌のないBメロ」という想定で制作しているのでBメロという意識が強いです)とサビはそれぞれ別のアイディアとして存在していたのですが、それぞれの整合性を取っていく過程で自然に結びついた気がしています。

 ちなみにサビの元ネタはNirvana「Frances Farmer Will Have Her Revenge On Seattle」の一部をAIに取り込んで続きを生成させた動画のサビ。このコード進行とメロディの美しさに感銘を受け、自分なりに換骨奪胎した結果現在の形になりました。部分転調の連続になっている上にほとんどのコードがオン・コードとなっているため、コード進行やキーを説明するのが難しいです。音像もシューゲイズなのかグランジなのかよくわからない感じだし、ほんとうによくわからない曲ですが、かっこいいのでよしと思っています……。

 歌詞には受け手の心を動かす目的で安易に人を死なせる創作物や「無垢な少女の死」に過剰に意味を見いだしたがる人間心理などへの皮肉が込められています。とはいえ物語や思想を綴ることに全力でコミットしているわけではなく、どちらかといえば語感の気持ちよさやイメージの美しさを重視しています。個人的にはとても気に入っている歌詞です。

5. Estuary

 FTH史上もっともSlowdiveに近づいた耽美派シューゲイズな一曲。特にアウトロのサウンドや展開がとても気に入っています。個人的にはSlowdiveというよりアメリカのオブスキュアなシューゲイズ・バンドであるColfax Abbeyを強く意識しているのですが、あの混沌とした音像をどうしても再現できず、結果的にSlowdiveっぽくなりました。マンドリン(厳密にはマンドリンではなくポルトガルの民族楽器であるguitarra portuguesaを弾きました)を入れているのもColfax Abbeyの「Chameleon」のオマージュ。

 歌詞のテーマはある意味「Lungs」の延長線上にあり、少女の哀しみや孤独に必要以上に意味を見いだそうとする青春文学や映画などへの皮肉が込められています。これに関しては長年青春をテーマに音楽をつくってきた僕自身も身に憶えがあります……。

 トータルで見て日本のシューゲイズ史上類を見ない美しい曲に仕上がっていると自負しています。バンドの歴史を振り返ってみると実はシューゲイズと真っ向から向き合うのを避けていた時期が長いのですが(特に『Film Bleu』~『he(r)art』の頃は意図的に「シューゲイズ」という語句を宣材などに用いるのを回避していました)、一周してそこに対する開き直りができたからこそ生まれた曲と言えるでしょう。

6. Bleachers

 今作でもっとも『Ethernity』のムードを引きずった楽曲。Gleemerや『Peripheral Vision』期のTurnoverへの愛がストレートに反映されたサウンドと展開になっています。Twitterにワン・コーラスの弾き語りのデモを上げましたが、その尺で既に楽曲が完結していたため続きをつくる必然性が感じられず、デモの尺のままバンド用にアレンジしました。2分のあいだに静寂から徐々に熱を帯びていきつつ、沸騰しそうでしないまますっと収束する、そんな潔さが個人的にはとても気に入っています。6弦と12弦の2本のリード・ギターの絡みもミッドウェスト・エモ的な郷愁と美しさがあり、我ながらよくできているなと思います。

 歌詞は今作のなかでもひと際抽象度の高いものになっており、意味性よりもイメージの羅列を重視しています。ただひとつ言えることがあるとすれば、アメリカのハイ・スクールの外れ者のような人間を登場人物として設定しました。芸術などへの関心とセンスがあり、意見や感情をあまり表に出さず、誰とも群れたりせず、夕暮れの誰もいない運動場のスタンドでひとり(たぶんひっそりハッパでも吸いながら)なにかしら途方もないヴィジョンを想い描いているような人間の孤独。

7. Friends

 あまりに思い入れが薄すぎて語るべきことが特にない。元々収録する予定すらなかったのですが、諸般の事情により収録することになりました。BBHFのライブを観た直後につくったデモが元になっていて、その段階では非常にBBHFの影響が色濃いアレンジになっていたのですが、あまりに独自性が希薄だったためどうにか遠ざけようとAlvvays的な成分を取り入れたりしました。

 MVはライブ撮影や配信などでずっとお世話になっていた皆様ズのパラダイスさんにはじめてお願いしました。一見ストレートに見せかけてどことなくファニーでストレンジな感じがパラダイスさんらしくて気に入っています。撮影が楽しそうだったので立ち会えなかったのが残念(同じ日に都内で僕が監督・撮影・編集したエイプリルブルー「言の葉の国」のMVの撮影を行っていたため参加できませんでした)!

 

「Friends」MV

 

まったく関係がないけれどせっかくがんばったのでついでに貼っておく。

8. Natalie

 とにかくThe Beach Boys的なサウンドで遊びたくてつくった曲。デモ自体は意外と早くから存在していて、『Ethernity』リリース直後の2021年の春には既につくりかけていたものの、1サビ以降の展開に行き詰まったことや、バンドでどうレコーディングするのかのイメージが湧かなかったことなどから長らく放置していました(最終的にドラムを生で録音せずにLudwigのドラムのサンプルの切り貼りでまかない、ベースはMav君の宅録、ギターと歌とパーカッションのみスタジオで録音、という形になりました)。

 ブライアン・ウィルソン文法(鍵盤楽器を土台とした作曲で、右手で3音の和音を弾き続けながら左手で音をぶつけてオン・コードをつくることでコード感を変えていく)を完璧にマスターしたという手ごたえがあります。そしてなんといっても何十トラックにもおよぶ声の壁が押し寄せてくるようなコーラスワーク! The Beach Boysのファンなら楽しめること間違いなしの小ネタも随所に散りばめられています。世のなかのドリーム・ポップ・バンドの大多数にはできない芸当という意味でとても気に入っている曲です。

 歌詞は遠くに住んでいるあるファンとの会話がベースになっていてぱっと見はたわいもない内容なのですが、旅が著しく制限され「君のいる街まで」行けることが当たり前でもなんでもなくなったコロナ禍を経て妙な切実さを帯びた気がします。

9. Sirens

 今作で唯一僕がリード・ボーカルを取っている曲。90年代末~00年代前半のPrimal Screamのイメージでつくりはじめたのですが、実際にその頃のPrimal Screamをちゃんと聴いてみると意外とこういう曲はありませんね……。結果的にもっとだらっとしていてノイジークラウトロック的な反復感もあるサイケデリックな一曲に仕上がりました。トレモロフェイザーをかけた12弦ギター、ファズ・ギター、メロトロン、タンブーラ、とサイケデリック演出てんこ盛りです。それでいてThe Rolling Stonesの「Street Fighting Man」に通じるラフな空気感もある気がしています(The Rolling Stonesに対する思い入れがほぼ皆無なので不思議な話……)。

 歌詞は今作のなかでひと際政治性が強く、トランプによるStop The Steal運動やウクライナ-ロシア戦争などのイメージが混在しています。テーマをざっくり形容するとしたら混沌とした世界で自分自身を見失わずに生きること、芸術を守り抜くこと、辺りでしょうか。

10. House Of Mirrors

 本作唯一のMav楽曲で、誕生の経緯は先述の通り。僕が投げたコンセプトとレファレンスを元にMav君がトラックとメロディをつくり、そこから僕が作詞、Mav君が歌詞を一部改訂して完成という流れを踏んでいます。ラップはラフを聴いて「ラップがあるといいかもしれない」というバイブスを受けた(SixTONESの田中樹の影響もあります)ので仮で入れて共有したところ、Mav君からも「語りかラップがあるといいかもしれないと思っていた」と言われたのでそのまま採用されました。

 サウンドのレファレンスとしてGeorge Clanton「Slide」やLunarette「Austin St.」などを共有した記憶があります。「文明批判と言えばヴェイパーウェイブ!」くらいの安直なノリでほんのりヴェイパーウェイブの空気感を取り入れたベッドルーム・ポップ的な楽曲が欲しかったといったところでしょうか。結果的にシティ・ポップ成分も含まれているのがいかにも日本的です。

 歌詞はマッチング・アプリでの出会いについて男性視点で綴っていて、大まかに言えばアプリを通じて承認欲求を満たす女性と、彼女らを見下しつつもふと自分こそが承認欲求に支配された化け物だったと気づく男性の物語を、遊園地の鏡の館というメタファーを通して描いています。鏡の館はホラー映画や怪談で扱われがちなイメージがあるので、歌詞に使う語彙も若干ホラー方向に寄せていて、テーマ性の面でもボキャブラリーの面でも個人的には新境地です。真夜中にふと思い立って1時間程度で初稿をさらっと書き上げてしまいめちゃめちゃ気持ちがよかったのをよく憶えています。

11. Milkshake

 今作の制作のとっかかりとなった楽曲にして栄えあるリード・シングルであり文句なしの今作のハイライト。FTH史上もっともヘヴィでラウドなシューゲイズ・ナンバーを目指してつくりました。完成した頃から、そしてはじめてステージで演奏した頃からめちゃめちゃかっこいいと感じていましたが、いまでも変わらずめちゃめちゃかっこいいと感じています。ちなみにデモの段階ではいまよりBPMが5ほど遅く、もっとHumのような雰囲気のどっしりした楽曲だったのですが、スタジオやライブのテンポに慣れすぎて遅すぎるように思えたため速めました。

 個人的な推しポイントは大サビから左右に入る12弦ギターのきらびやかなアルペジオ。これは元々デモの段階では存在しておらず、レコーディング中に思いついて入れたフレーズだったのですが、嵐のごとく重々しいファズ・ギターの隙間にうっすら光が差すような救いが感じられてとても気に入っています。このフレーズも含め、轟音とは対照的にクリーンのギターにはCocteau Twins的な耽美なニュアンスが多分にあり、そこがこの楽曲のおもしろさだと思っています。

 歌詞は社会における女性の構造的な性搾取およびそこからのリベレーション、というモチーフがうっすらある気がするのですが、明確にそれを念頭に書いたわけではないのでなんとも言えません(この曲に限らず、最近はとりあえずなんの気なしに歌詞を書いてあとでその意味を自分で読み解く、ということがしばしばあります)。とはいえMVを依頼する段階では監督の重浩介さんに楽曲のテーマがこれであると断言しました。また、MVにはDIIVやNothingのMVへのオマージュが小ネタとして含まれています。

 

「Milkshake」MV

 

12. Subway Station Revelation

「Milkshake」からの流れも相まって佳境感を強く演出しているこの楽曲ですが、完全に曲名が先にあってそのイメージに合わせて楽曲を構築するという手順でつくりました。文字通り地下鉄の駅のようなほの暗さと眩さのバランス、力強い疾走感と終末感の両立などを意識しました。演奏が落ちてから複数のメロディが折り重なる展開は映画『はじまりのうた』の劇中歌「Tell Me If You Wanna Go Home」に影響を受けていて、シンプルで下手くそなリード・ギターのフレージングも同曲の屋上での演奏シーンのバージョンを意識しています。

 歌詞も基本的に後づけで、とにかく曲名のイメージありきで言葉を流し込んでいきました。すさまじい速度で情報が錯綜し不穏な空気に押しつぶされそうなこの時代においてもなお愛を見失わないことの大切さ、誰かを想う気持ちの強さを極めて平易に綴っています。

 MVは「Milkshake」と同じく重さんの作品で、2本併せて観ると無限ループになっていますが、アルバムでもこの2曲が並んでしまったのは偶然です。また、本格的な演奏シーンを撮影したのは意外にも今回が初。「ベタな邦ロックのMVに見せかけてどこか不穏な空気感を孕んだひねりがある」というテーマの元で撮影しました。

 

Subway Station Revelation」MV

 

13. Leave The Planet

 アルバムのラストを飾る曲。当初は「Subway Station Revelation」がアルバムのクローザーとして有力視されていたのですが、いざ最後に配置してみるとしっくり来ず、適度な余韻が残る「Leave The Planet」が最終的にその座に収まりました。

 直接的なインスピレーションとなったのはbeabadoobeeの昨年のシングル曲「Last Day On Earth」がどことなく往年のマッドチェスターを想起させるきらきらアルペジオ+打ち込みのダンス・ビートのポップ・チューンだったこと。実はほかにもPixeyやHatchieなどマッドチェスター/インディ・ダンスの影響下にあるサウンドを鳴らすアーティストが同時多発的に現われはじめており、元々その手の音に目がない身としてはリバイバルの機運に胸を躍らせていました。そもそもマッドチェスターが隆盛を極めていた80年代末~90年代頭もイギリスのサッチャー政権の終焉、ベルリンの壁ソ連の崩壊、サダム・フセインによるクウェート侵攻などが発生した混沌の時代であり、そういう意味では今作でマッドチェスター・サウンドに挑戦するのはごく自然な流れなのです。敬愛するフリッパーズ・ギターの『ヘッド博士の世界塔』を連想させたいという狙いもあり、サウンドだけでなくニヒリズムを感じさせる歌詞も完全に『ヘッド博士の世界塔』を意識しています。

 

4. まとめ

 以上13曲から構成される『Hotel Insomnia』。サウンドも歌詞もばらばらでありながらどれもアルバム全体を通して時代精神を表現する上で不可欠な楽曲であり、少なくとも自分のなかでは明確なまとまりが感じられます。それをあえて言葉にして説明するのも野暮な気はしますが、このテキストを踏まえて改めてアルバムをお聴きいただくと印象が変わるかもしれません。

 こうして言葉に置き換えて改めて感じるのですが、あえて不遜な言い方をすればFor Tracy Hydeはほかのシューゲイズ/ドリーム・ポップ・バンドたちとルーツを共にしつつも音楽へのアプローチや思想の面で明確に一線を画した存在です。シンプルによい楽曲をつくるだけではなく、時代を体現しつつ、同時に時代を超越しうる強度も備えた作品をつくろうという確固たる野心が、自分たちの大きな特長となっているのではないでしょうか。

 願わくばこのアルバムがポスト・コロナの時代において皆様の心の支えになりますように。

 

アルバム本編

 

毎作恒例となりつつあるレファレンス集