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最近わたしの気持ちはこう

 いささか突然ではあるけれど、Twitterに飽きた。

 先月中旬くらいから急激に情熱が冷めてしまったというか、なにを言ってもおもしろくないし意味がないな、という気持ちが芽生えてきて、月末辺りにピークに達した。そもそも考えてみれば3300人もの人間に対して語りかけるべき言葉なんてほとんどないし、あったとしても曲がりなりにも創作活動を行っているならそれは作品を通じて語るべきなのではないか、という気もしてきた。ほんとうに手垢にまみれたベタな正論だけれど、ある程度正しいと思うし共感もできる(そもそも正論は正しいから正論と呼ばれるわけで、当たり前と言えば当たり前だ)。

 さらに、その3300人という人数が足枷になってしまい、逆に自分がほんとうに主張したいと思うことを主張できなくなっているという側面もある。それこそTwitterでも話したけれど、これだけの人数がフォロワーにいるとどこに石を投げても当たってしまうのだ。わたしの嫌いなバンドのファンだったり、わたしの嫌いな人間の友達だったりが当たり前のようにいて、そうしたバンドや人間に関する率直な意見を述べられないのは窮屈だ。わたしの持論では嫌いなものについて論じるのは好きなものについて論じるのと同じくらい有意義で、嫌いなものとその理由を明確に言語化することによって自分の作品からその要素を排するのが容易になる。嫌いなものについて自由に語れないのは創作プロセスの一部を阻害されるも同然なのだ。

 また、自分が話をしたいと思う人の大多数は会おうと思えば会える身近な人々で、実際それなりの頻度で会ってもいる(もっともいちばん会いたいと思っている人は運任せというか不確定要素が多すぎてまったくと言っていいほど会えていないけれど……)から、ことさらTwitter上でコミュニケーションを取る必要がさほどない。

 そうなるといままでみたいな使い方をする意義はあまりないのかなー、という結論にいたるのはごく自然な成り行きじゃないかしらん。

 

 Twitter上でしか接点がないものの将来的にどこかで繋がりたいと思う人たちや地方に住む友人・知人とのコミュニケーション、対外活動の広報効果などを考えるとアカウントを残したほうが便利だし、この気持ちもごく一時的なものかもしれないから、アカウントは消さないと思う。いまのままほとんど浮上しない状態を保つかもしれないし、あるいはまた以前のようにツイートするようになるかもしれない。けれどいずれにせよ、どうTwitterと向き合うかを考えるべきタイミングが来たのかなー、というのが最近のわたしの気持ち。